志村けんさんが亡くなられた。
あまりにも大きくて当たり前の存在すぎて最初びっくりしかなかった。
亡くなるイメージがどうしてもつかない。
小さい頃に加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを見ていた記憶がいまだにある。
土曜日は昼間は新喜劇で夜は加トちゃんケンちゃんが当たり前やった。
学生になるにつれて斬新的な笑いを好むようになりあまり志村さんの番組を見なくなった。
どこか子供や家族で見るものという学生時代特有のすれた見方をしていたような気がする。
そしていざ自分が芸人をやりはじめた時、如何に幅広い層に受け入れられるのが難しいか、そしてベタで笑かす難しさを知った。
芸人になって改めて志村さんの番組を見るようになった。
いろんなところに笑いの根っこがあった。
昔お笑いを始める前に浜ちゃんとという番組で志村さんが話していたことを今でも覚えている。
笑いは結局は間とタイミングなんだよなぁ。
その言葉がずっと残っている。
自分らの漫才でもほんまにそこにこだわって細かくネタ合わせをしている。
著書を読んだ時、自分は芸人ではなく喜劇人だと書いていた。
あくまでも舞台上で志村けんになりきり笑かせたい、下りたら普通の人だしトークなども特におもしろくないよというようなことを書かれていた。
そこもまた魅力的で憧れた。
恥ずかしいが男としてや人付き合いの作法もいまだに思い出して使わせてもらったりしている。
人、芸、華、気、全てを持ち合わせた方だと思う。
たぶんこれからもずっと自分の中で当たり前に存在し続けるだろう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。